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コラム

火と水の災い

平成における大きな災害と言えば、「阪神・淡路大震災」と「東日本大震災」である。これらの災害をひとことで表現するならば、阪神・淡路大震災が「火」、東日本大震災が「水」の災いといえるだろう。古来、日本人は、“火”と“水”の働きやエネルギーに神性を見いだし、その畏敬と畏怖から「火」や「水」を神様として崇め信仰するようになった。一説として神の語源は、火(カ)と水(ミ)から火水(カミ)と読ませ、そこから「神」に転じたとも言われている。

 

『皇典古事記』によれば、伊邪那美命(イザナミノミコト)は火の神をお産みになり亡くなったと記されている。これを解釈するならば、人類は文明や文化の発達と共に「火」を扱うようになる。火の神様の荒ぶる世となりやがて「火」によりイザナミという母神から象徴される母国の命さえをも失う、地球滅亡の事態になるという人類への警告として解釈できるのである。

 

また、『皇典古事記』には、火力文明の象徴である火の神である加具土命(カグツチノミコト)の首を伊邪那岐命(イザナギノミコト)が十拳剣(トツカノツルギ)という神剣で斬ったと記されている。預言書ともいわれる『皇典古事記』のこの伝承は、戦後わが国のみならず物質文明を基にする〝物質主義的価値観〟で全ての物事を推し進められてきた悪潮流に対し、大地震という自然の神剣の発動によって行き過ぎた物質文明に対して強制的停止が計られることを古代から預言されていたのである。また、なんとも興味深いことに、水の神様は加具土命(カグツチノミコト)の首を斬った際に剣から滴り落ちる手に付着した血潮から産まれているのである。火の神から水の神が御出現されていることから人類は大いに学ぶことがあるのだと思う。

 

科学文明の発展による「火」のエネルギー開発終着点が「原子力エネルギー」であり、まさに忘れもしない3・11のあの日、「福島第1原子力発電所」の事故によって、私たちの目前で『皇典古事記』に描写される「火」の神の誕生神話の様相が福島県を舞台として展開されることとなったのである。東北地方の一つの県に過ぎなかった福島県が世界人類の注目する所になったのである。

戦後、私たちは目に見える“物質主義的価値観”を追い求めてきた、それによって目に見えないものである“精神的・霊的価値観”は下劣なものと評価してきたのではないだろうか。原子力そして昨今コロナウイルスと目に見えない存在を対象とせざるを得ない事象が多発している。目に見えないものほど力が強く恐ろしいものであることを知るべきである。疫病との戦いが神社発生の起源であるとの史実も示唆に富む。

 

阪神・淡路大震災と東日本大震災は想定されていた前兆を伴わない地震となり、想定されていた東海地震も発生しない状況が続き、2017年に国の委員会では「直前予知は不可能」であるという結論に至った。人類は、今のところ科学の力をもってしても地震の予知によって逃げることは不可能であって、事前の防災対策を最優先しなければならない。

 

将来、大規模地震が起こるのは間違いないことであり、自分が遭わなければ子や孫が遭うことになる。自分のみならず子や孫の大切な「命」を護るために人類に対して何ができるのか? これは東日本大震災という日本国内観測史上最大規模のマグニチュード9・0を経験した被災者や犠牲者から通じて紡ぎだされてくる叡智を日本の将来を背負う子や孫たち、そして世界や人類に残し継承していく環境を整えることが、われわれの務めであると言えよう。

 

平和世界建設には、「ウラン」「石油」とエネルギーの問題を抜きにしては決して語れない。古代日本人は、「火」と「水」のバランスを保つことがいかに重要なのかを感覚的に知っていた。福島第1原子力発電所の「火」の事故を救ったのも「水」である。私が予測する社会復興の近未来像は「火の文明」から「水の文明」への転換である。間違いなく〝水〟が救いのキーワードになるであろう。

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