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コラム

看取り

神道では、ご遺体を入浴させて現世の罪穢れを祓い清める「禊(みそぎ)」という作法があります。仏教では、湯灌といわれています。故人が産土神様のお導きによって霊界に帰るにあたり、心身共に清潔にして旅立ちをするために、古くから行われてきました。

病院で亡くなることが多くなった現代では、死後の処置として看護師によってご遺体が清拭されます。清拭とは、体を拭いて清潔を保つことで、それを含めた死後の処置を「エンゼルケア」といいます。

また、事故などによって失われた生前の面影を可能な範囲で取り戻すために行う顔の造作を整える作業や保清(ほせい、体の清潔を保つこと)を含んだケアを「エンゼルメイク」といい、いわゆる死化粧が施されることもあります。

「セルフケア不足看護理論」を確立したアメリカの看護師ドロセア・オレム(1914~2007)は、「人はセルフケアをする存在であり、病人は病気によって一部セルフケアができない存在となる。そのできない部分を補うことが看護である」といっています。死亡によって「セルフケアできない存在」になったご遺体に対して行う看護が、「エンゼルケア」や「エンゼルメイク」です。私は、幅広い看護業務の中で、ご遺体に対して行うケアを最も崇高で神聖であり、尊厳を持って行うべき看護であると思っています。

 

マザ―テレサは、「人生のたとえ99%が不幸だとしても、最後の1%が幸せならば、その人生は幸せなものに変わる」といいます。高度救命救急センターには、「行旅死亡人(こうりょしぼうにん)」がたくさん搬送されてきます。行旅死亡人とは、本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者のことです。どんな事情があり、どんな人生を歩み、救急搬送に至ったのかは知る由もありません。しかし、人生の最後を高度救命救急センターで迎え、看護師に寄り添われ「エンゼルケア」という崇高で神聖な愛ある看護を受けて旅立つ時、その人生は幸せなものに変わるような気がします。

 

私の母方の祖父の看取りの出来事をお話しましょう。

母方の祖父は、肝臓がんと診断されていました。本人は、がんであることを最後まで知りませんでした。麻酔科専門医であるかかりつけ医のおかげで、在宅医療でも疼痛管理(ペインコントロール)が上手くできていました。

 

8月19日の暑い夏の日の昼下がり、不意に電話が鳴りました。電話をとると、母の実家に見舞へ行っていた祖父の妹で、慌てた様子です。

「祖父が息をしていないみたい。はやく来て。」

母の実家は、自動車で10分程。逸る心を抑えて私がハンドルを握り、母と共に急いで祖父の元へと向かいました。

たった5ケ月前に母方の祖母を見送ったばかり。残された祖父も失うかもしれないという母の不安はいかばかりでしょうか。母の実家へ向かう車中で何か気の利いた言葉をかけ、母を慰めようとは思うのですが、気の利いた言葉がでてきません。母も心ここにあらずという様子です。そうこうしているうちに、母の実家に到着しました。

急な出来事に戸惑っている祖父の妹。そして、明らかに動揺している母。冷静な対処ができるのは、私しかいない状況です。

かかりつけのクリニックに電話をして、状況を説明し、往診に来ていただきたいと伝えました。ありがたいことに、すぐに祖父の元へ駆け付けてくれました。

到着した先生は、祖父の様子を見ると、静かに往診バックから聴診器を取り出し、呼吸の確認、脈拍の確認、ペンライトを目に当てて瞳孔反射の確認を丁寧に行いました。一呼吸おいて、「〇時〇分お亡くなりになりました」と死亡が宣告されました。

覚悟はしていましたが、やはりつらいものです。

「先生、本当にありがとうございました」

心からの思いを込めて、先生にそう伝えました。

そして、そっと祖父に触れてみました。亡くなって間がないその身体は、温もりを十分に感じることが出来ます。

 

医師が帰ると、悲しみに浸るまもなく、葬儀の準備をしなければいけません。まずは、湯灌を行い死装束に着替えさせます。祖父を広い茶の間にそっと横たえ、私と母、母の姉の3人で祖父の頭から足のつま先まで全身をくまなく丁寧に「やさしく、やさしく」清拭して浄めます。祖父の身体に触れているうちに、ふと自分の心が満たされるのを感じました。おそらく、母や母の姉も同じように感じてたのではないでしょうか。幸福を感じる、静寂で穏やかな時間です。そして、清拭を終えたとき、本当に清々しく、悔いなく祖父を見送れたという充足感がありました。不思議と悲しみはありません。祖父の死は、愛情をこめて大切な人の死に向きあう行為は、悲しみを超え、自分を愛することそのものであると私に教えてくれたのです。

 

日本看取り士会の柴田会長は、わが国の看取りの文化を取り戻す必要があると強く訴えています。また、多死社会に向けて国が「看取り休暇」が取れるような穏やかな社会の在り方を提言しています。

看取りは、戦後に失われていった大きな文化であると思います。心の時代といわれる今日、わが国は全ての事柄に行き詰まりを見せ、問題の解決に頭を悩ませています。看取り文化を再考することで、組織や個人や救われるチャンスやヒントがあるのではないかと感じています。

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