中間生記憶
胎内記憶や中間生記憶を持って産まれてくる子供たちが最近増えています。なぜこのような子供たちが増えているかというと、物質主義的価値観の横暴による地球規模の自然環境破壊や大量消費による危機的地球環境の悪化に対して、何としても大災害から世界人類を救い守りたいと思われる神々様の切なる思いが、本来分娩時の痛みや苦しみにより消されるべき胎内記憶や中間生記憶を維持したまま誕生させることが神界でお許しされたためです。これらの記憶を有する子供達は、目に見えない世界に物事の本質があると生まれながらに知っているので、行き過ぎた物質主義的価値観の違和感を敏感に感じ取り、あらゆる物事や事象に対して、何が真実なのか?みんなに公平か?みんなの為になるかどうか?を基本に考えるため、われよし、ひとりものがちの価値観に財力・学力・軍事力という力を背景に推し進める生き方や価値観には、興味や喜びを示さないのです。このような子供達の増加は、人類に対する神様の御神慮によるものです。
胎内記憶とは、お母さんのお腹の中にいたときのお母さんの言動やお母さん好みの食物などを出生後も記憶している子供です。妊娠中になぜだが知らないがスイカが食べたくなり、毎日のように食べていたお母さんがいました。生まれてきた子供にある日、胎内記憶を話してもらうと、「お母さんは毎日のようにスイカを食べていたね。」と話したといいいます。また、妊娠中にお母さんが良く聞いていた曲がありました。このことは、子供は知るはずもありません。しかし、ある日TVでその曲が流れることがありました。その時、子供が「この曲、お腹のなかにいたとき何度も聞いた曲だね。」とお腹の外で起きていたことを胎児として記憶していたのです。胎教がいかに、大切であるかが分かります。出産にあたり、母親の心を穏やかにして、絶えず胎児に善き言葉、美しい言葉で話しかけてあげましょう。母体に優しい無農薬や無添加の食事、良い音楽、綺麗な空気や水を摂取できる環境で出産を迎える準備をすることは、霊性の高い元気な赤ちゃんの誕生につながります。また、産まれる前の記憶である中間生記憶を持つ人もいます。
実はわたくしも、この中間生という記憶があるのです。日本の胎内記憶研究の第一人者である産婦人科医の池川明先生と対談した際、私の中間生の記憶についてお話しをさせていただいたのですが、40代で中間生の記憶を持つ大人は大変少ないとのことで驚いておられました。
では、わたしが記憶するその中間生記憶について、お話しいたしましょう。
記憶しているのは、満点の星空に澄みきった空気が流れる雲の上の出来事です。夜空にも関わらず、たくさんの輝く星のあまりの明るさで、暗さを感じることがない、それは、それは、明るい銀河の世界でした。そこには、銀河鉄道999の舞台である星空と同じ、色鮮やかな銀河系の世界がありました。
私の目の前には、真白くて長い髭を生やし、髪の毛やまつ毛も真白くて長く、真白い衣服を身に纏ったおじいちゃんの神様がおられました。長い木の杖を左手に携え、雲の上に座り、にこやかな笑顔で、私を見つめておられます。まるで仙人のようなお方、というとイメージしていたけるでしょうか。
このお方は、わたしをこの世に誕生する際にお力添えをいただいた産土大神様であり、わたしの生まれ故郷の新潟県村上市岩船に鎮座する、岩船神社の御祭神様なのです。
そして、わたしはというと、人間の姿ではなく「みたま」の姿で白髭のおじいちゃん神様と向き合っています。では、どんな姿かというと、「真珠の珠」(みたま)のように光輝く球体として満点の明るい星空にプカプカプカ浮いているのです。「真珠の珠」(みたま)そのものが私の生命であり、その認識がちゃんと私の記憶として鮮明にあるのです。
白髭のおじいちゃん神様と私は、星空に浮かびながら正面で向き合い、しばしの時間を共に過ごしました。時間といってもこの世の時間の流れとは、全く違う時空間の流れです。一瞬の時であるけれども長く濃密な凝縮された時間感覚です。
そして時が経過し、いよいよその時が来ました。どうやらわたしの産まれる様々な条件や乗り越えるべき課題、使命などが産土大神様によってご調整が図られたようです。その学びに最適な環境である家や家族構成、兄弟、母親、父親が決まったのです。白髭のおじいちゃん神様は、「真珠の珠」(みたま)の私に、力強くそして愛に満ちた言葉で一言告げました。
「頼むぞ!!」
これは、「地球を救う」ことを頼むぞ、という白髭のおじいちゃん神様とわたしとの約束でした。
「わかりました!!」
この言霊のエネルギーが「真珠の珠」に満たされた時には、神様の慈愛につつまれてとめどなく涙が流れました。涙をポロポロ流しつつ、銀河の夜空からものすごいスピードで地球にいるお母さんのお腹めがけて入りこんだのです。
「頼むぞ!!」
「わかりました!!」
とのやりとりは、言葉でかわされたものではなく、波動によるテレパシーの交流でした。白髭のおじいちゃん神様はとわたしは、お互いの両手を強く握手しました。言葉を何ひとつ交わすことなく、お互いの握手によって波動を交流して意思疎通を図ったのです。
自身の「みたま」は、「真珠の珠」のように光り輝いていました。そこで、私の記憶は終わっています。
「救い」という言葉が私の今世での大きな使命であり、救急救命士として人の身心を救い、神職として御霊を救う御用をさせていただいています。