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コラム

天照大神ってどんな神様? ~笑顔で生きる その1

日本の神社約8万社の中心である伊勢神宮の内宮に祀られているのは、天照大神という神様です。アマテラスは調和と秩序をもたらす太陽の神。万物に宿る日本の神々を象徴する神様であり、私たち日本人の大御祖神(おおみおやかみ)とされています。

 世界の多くの宗教には、唯一無二の絶対的な力をもつ神や教祖、そして経典や教義(戒律)があるのですが、あらゆる自然や自然現象などに宿る霊性を神とするわが国の神道には、そのような要素は何も含まれていません。そして八百万の神様たちは、それぞれの長所(ときには短所)や、他の神様にはない特性、すなわちそれぞれが独自のキャラクターを有しています。
 たとえばメジャーな八幡様は、武道や勝負、つまりはスポーツの神様。稲荷様は、お米や農業、さまざまな産業の神様。金毘羅様は船や会場の安全を守り、恵比寿様は大漁や商売繁盛を得意とする神様です。
 アマテラスは、そういう個性的な神々が作るピラミッドの頂点ではなく、神様たちが囲む円の中心にいる神様。それぞれの神様の特性をサポートし、神様同士のネットワークを作る神様です。そんなだいじな神様があるとき大変お怒りになり、岩窟の中にこもってしまった、というのが有名な「天岩戸」という神話です。

 アマテラスにはスサノオという弟がいました。スサノオは海や地を治める神でしたが、どうしようもない乱暴者で、ろくに仕事もせず、周囲の者を困らせていました。
そしてあまりの傍若無人さについにはその地を追われ、姉であるアマテラスの元・高天原に向かうことになりました。しかしスサノオの乱行はそこでも収まることはなく、ある日、織り小屋の屋根から皮を剥いだ馬を投げ落とす、という事件を起こします。この騒動に巻き込まれた一人の織女が、命を落としました。
それまでは「きっと何か考えがあってのことなのでしょう」と大目に見ていたアマテラスも、これには怒り、嘆いて、天岩戸(岩窟)にこもると、入り口を大岩で閉ざしてしまいました。太陽の神がいなくなった世界は真っ暗な闇に包まれ、そこにはさまざまな災いが起こるようになりました。

 そこで神様たちは天安河原(あめのやすのかわら)に集まって会議を開き、アマテラスに外へ出てきてもらうための一大プロジェクトを立ち上げました。
 アイディアを出したのはオモイカネです。
「私たちが岩戸の前で、歌ったり踊ったり、楽しそうにしていれば、アマテラスは『こんなときにいったい何をしているのか』と、お覗きになるに違いない」。
神様たちはその計画に沿って動きます。タマノオヤは玉飾りを作り、イシコリドメは鏡を作り、アメノコヤネが祝詞を献上するなか、玉飾りと鏡を結んだマサカキを携えた神々が岩戸の外を取り囲みます。そして踊りの上手いアメノウズメが、踊り始めました。足を踏み鳴らし、胸をはだけ、なんと袴まで押し下げて舞い踊ると、神様たちはどっと笑い転げ、その声は高天原中に鳴り響き渡りました。まさに神様たちの大宴会です。

そして思った通り、やけに騒がしい外の様子が気になったアマテラスは、何事かと岩戸をほんの少し開けました。すると踊っていたアメノウズメがこう言うのです。
「あなたよりも貴い神様がいらっしゃったのでお祝いをしています」
手元に差し出されたマサカキには鏡が結ばれ、そこには確かに美しい女神が映っていました。アマテラスはその女神を自分だとは思わず、思わず身を乗り出しました。
その時です。力持ちのアメノタヂカラオがアマテラスの手を握り、ぐいっと引っ張って岩屋の外へ連れ出し、そのすきにアメノフトダマが岩戸に注連縄を張って、二度と中へ戻れないように祈りました。

 こうしてアマテラスの怒りは一件落着、となるわけですが、皆既日食を表しているとも言われるこの神話は、太陽や自然が、いつも当たり前にあるものだと思ってはいけない、ということを私たちに教えてくれる物語です。
そして同時に、さまざまな特技をもつユニークな神様たちが、協力し合い、ばかばかしいとも思える作戦を立て、決行するようすが、楽しく描かれていることも大変印象的です。
 作戦会議を開く神様、派手に歌い、踊る神様。そして歓声を上げ、どっと笑う神様。実は神様たちは面白いこと、楽しいことが大好きです。だからこそアマテラスも、固く閉ざしていた戸を思わず開けてしまったのです。

神様に好かれるコツ、愛されるヒントがここにあります。それはまじめに一生懸命に、しかし楽しく面白い毎日を生きること。「笑う門には福来る」の言葉のように、よい知らせは笑顔のあるところにやってくるのです。

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