命の循環の中を生きる ~伊勢神宮のススメ その1
伊勢神宮へ行かれたことはありますか?もちろん行ったことがある方も多いでしょうし、「最強パワースポット」などとも言われている昨今、一度は行ってみたい、と考えている方もいるかもしれません。
たとえ「最強パワースポット」のようなキャッチコピーがなかったとしても、しばしば報道で接する皇族のご参拝や1300年余りの歴史をもつ厳粛かつ神秘的な式年遷宮のようすなどを通して、日本に数多ある神社の中で、伊勢神宮が何か特別な存在であることは多くの人が感じているのではないかと思います。
では、伊勢神宮はどこがどんなふうに特別なのでしょうか?
「お伊勢さん」あるいは「大神宮さん」などの愛称で呼ばれることもある伊勢神宮の正式名称は、実は頭に何も付かない「神宮」です。このシンプルさだけでもちょっとした特別感がありますが、伊勢神宮は全国に約8万ある神社の中心、と位置付けられています。「頂点」ではなく「中心」。ピラミッドのてっぺんではなく、円の中心というイメージです。
祭られているのは、太陽の神・天照大神(アマテラスオオミカミ)と、衣食住を始めとする産業の守り神・豊受大神(トヨウケオオミカミ)。それぞれの神様は、内宮・外宮と呼ばれる神殿に祀られているのですが、敷地の中には14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社の、合わせて125ものお宮があり、141座の神々が祀られています。
どうしてそんなにたくさんのお宮が建てられるのかといえば、もちろん広大な敷地を有しているからで、その面積は約5500ヘクタール。東京ドームなら1200個分、東京23区の中では2番目に面積が広い世田谷区とほぼ同じ大きさです。
そしてここを訪れる人の数は年間約1000万人。参拝する人が多くなったのは鎌倉時代中期からのようですが、時が経つごとに参拝者は増え、江戸時代には庶民の間にお伊勢参りの一大ブームが到来。その流れは、400年後の今日まで脈々と続いています。
なぜ、伊勢神宮は私たち日本人をこんなに惹きつけるのでしょう。その答えを一言で表すのは難しく、まさに「行ってみればわかる」というかんじなのですが、あえて一言で言うならば、「空間」あるいは「自然」ということになるでしょうか。
伊勢神宮では、美しい立派なご社殿だけでなく、それを取り巻く広大な森や山、川、そして一木一草にも神が宿ると考え、気が遠くなるような長い歳月の間、自然を大切に、そして注意深く守り育て、共存してきました。
森というのは一つの小宇宙です。降り注ぐ太陽の光で草木は光合成をし、大地から養分を吸収して成長します。そしてその実や花の蜜、樹液などを摂取して生きる虫や鳥、動物たちも花粉や種を運んで森を育てます。降る雨は川の流れとなって、地中のミネラル分を森や田畑、そして海へと運び、木々や作物、そして魚たちを育てます。
私たちが生きていくためになくてはならない水や食べ物は、すべてその循環の中にあり、同時に私たち人間もその循環の中に生きています。
日本は、国土の約70パーセントが山や森林で、私たちは残りのわずか30パーセントくらいの地面の上に暮らしています。つまり日本の大部分が大きく都市化したように見えても、実際には、わたしたちの住む場所はどこも、広大な自然に囲まれた小さなエリアです。しかし、そうであるにもかかわらず、私たちは自分が自然の中に生きている、自然によって生かされている、という当たり前の事実を忘れてしまいがちです。
暑い日、寒い日には冷暖房を利用し、雨が降れば厄介だと感じ、スーパーできれいにパックされた肉や野菜を買って忙しく生きていれば、自然の循環のことなどつい忘れてしまう、というのも無理はありません。
だからこそ、伊勢神宮の深い森とその静寂の中に佇み、自然の造形や色彩、音、匂い、そして感触に全身が満たされるとき、私たちは現実の生活の中で身にまとったさまざまな付属物を、束の間すべて削ぎ落とし、ほんとうにシンプルな一つの生き物としての自分、オリジナルな自分に立ち返ることができるのです。
それはなんと軽やかで、すがすがしいことでしょう。
何も持たないちっぽけな、しかしかけがえのない、たった一つの生命としてただ森の中に立っていると、美しい自然に驚嘆する気持ち、自然を愛しむ気持ち、自然を敬う気持ちがむくむくと湧き上がり、自然に守られているという安らぎに包まれるのを感じます。そうしてやがて、自然だけでなくすべてのものごとに対して、素直に感謝する気持ちが生まれてくるはずです。
いつの間にか心の中に溜め込んだ重たい荷物を下ろし、その空いたスペースには自然のもたらすパワーを取り込み、「ああ、私は生かされている!」と感じる。心がそんな状態になったとき、私たちはリフレッシュした、癒された、と感じるのではないかと思うのです。