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コラム

「目に見えない世界」

目に見えない世界、などと言うととても抽象的で、ある種の人々は頭から否定したくなってしまうのかもしれません。しかし、1本の大きな樹を想像してみてください。私たちの目に見えるのは、たくましく太い幹と、高い空に向かって勢いよく伸びる何本もの枝、そしてそこに茂る無数の瑞々しい葉っぱです。しかしその大木をここまで育て、これからも生かしていくために必要なのは、幹、枝、葉という目に見えている部分ではなく、目に見えない地面の下の部分、根っこから吸収される水分であり、養分です。

つまり、もしも目に見えない部分が「ない」のだとしたら、その樹は育つことはできない、ということ。目に見えない世界、とはそういうことを意味しています。私たちは何の背景も脈絡もなく突然この世にポンと出現し、人生を全うしたら消えていくだけ、の存在ではありません。

私たちはしっかりと大地に根差した根っこをもつ「幹」として、今この世に生きています。その幹からはやがて若い枝が伸び始め、その先には新しい芽が付き、花が咲き、葉が茂るでしょう。
そう考えれば、私たちの誕生はほんとうの意味での命の始まりではなく、私たちの死も本当の意味での命の終わりではありません。私たちは、神道で「中今(なかいま)」と呼ばれる時間を生きている命です。私たちの目には見えない過去と、同じようにまだ見えない遠い未来をつなぐ今、それが「中今」。その中今を、それぞれの使命をもって生きているのです。

多くの死に接し、死について考えざるを得ない救急看護の仕事を続けることが、ときには困難に感じられることもあるかもしれません。しかし私たちはみんな、「オギャー」と生まれた瞬間から、死への旅を始めています。多くの人はそれを忘れ、そこから目をそらして生きています。しかし、ほんとうによく生きるためには、どんな気持ちでその死を迎えるのか、ということをしっかりと考える必要があります。

死のために死を考えるのではなく、生のためにこそ死を考えるのです。そういう意味では、医療の世界は、死についての考察を深められる素晴らしい学びの場所でもあると思います。どうか死について考え、そこから見えてくる価値のある「生」を見出し、神様から与えられた使命を果たして生きていただきたいと思います。
わたしも、いつもそうありたいと思っています。

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