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コラム

救急医療と死 ~祖我一如~

救急医療のみならず医療を取り巻く世界では、必然的に数多くの死を目の当たりにすることになり、メディカルスタッフはときには仕事を離れてからも、死について考えることがあるのではないかと思います。少なくとも私自身はそうでしたし、学生服姿の自殺者などに接したときには、やるせない気持ちがしばらくの間心を離れませんでした。

もちろん十代に限らず、神様から与えられた命を自ら絶ってしまう人はいますし、これまで一度もそんなことを考えたことがないからと言って、これからも絶対に「消えてしまいたい」などと思う日は来ない、とは言い切れません。

人類の歴史が始まって以来、飢えや寒さ、さまざまな病気や災難を乗り超え、いくつもの時代をくぐり抜けてバトンリレーされ、今日まで連綿と受け継がれてきた私たちの生命力は限りなく強く、しかしまた繊細で弱いものでもあります。

だからもしもいつか、あなたの人生に、あるいはあなたの近くにいる誰かの人生に、「消えてしまいたくなるほどに」辛い日が訪れたときには、ぜび思い出してほしいことが一つあります。それは「祖我一如(そがいちにょ)」ということばです。耳慣れない言葉かもしれませんが、祖我一如とは、「私は子孫であり、先祖である」という意味です。私は太古から連綿と続いてきた命の末裔(=子孫)であり、ここから未来へと続いて行く命の先祖となる者。遥かなときを超えてここまで運ばれ、手渡されたバトンを次の走者に渡す「命の継承者」である、ということなのです。

私たちは「死」が、自分一人だけのものでないことを、よく知っています。「死」が、その当事者だけで完結することはほとんどなく、特に突発的な事故や自殺などによる死が、家族や周囲の人々の魂を深く傷つけ、深く悲しませることを知っています。しかしそれは、「目に見える世界」の話です。

もちろん、それは真実です。自殺者の苦しみが終わった瞬間から、その人を愛する人々の悲しみや苦しみは始まり、いつ終わるともなく果てしなく続いていくからです。
ではそのとき、「目に見えない世界」では、どんなことが起きているのでしょう?若い自殺者の手から、一つの貴重なバトンがこぼれ落ち、消えていく。それは私たちがどうあがいても到達することのできない、遠い未来へと続いていくはずだった「命」が一つ失われた、ということなのです。

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