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コラム

救急医療と蘇生

救急医療に携わっていれば、この蘇り(黄泉返り)を目にするのも珍しいことではありません。もちろん救命のプロフェッショナルたちが力を集結して心肺蘇生を行っているのですから、たくさんの人に蘇ってもらわなければ困ります。しかし私が救命救急センターに勤務していたとき、どう考えても死は避けられないと思われる状況にある人が蘇生し、反対にこの状況でこれだけやって、なぜ蘇生しないのか?と不思議に思う場合もあって、私には、そこに人智を超えた大いなる力が働いているように思えて仕方ありませんでした。

二次救命処置は高度な医療技術であると同時に、人が人に対して施す究極の救済行為である、と私は考えます。救急医療は、今まさに生死の狭間のある人に対して、ごく短い時間で的確な観察と判断を行い、素早く診療の補助を行います。このときの「時間」は、まさに目の前に横たわる人間の「命」そのものです。

患者に対して救命処置を実施している際は、ほとんど無我の境地で自分に与えられた使命を迅速に、的確に、そして最大限に果たすことに集中しているだろうと思います。この「無心」になってひたすら使命を果たしている瞬間を、神道では「神人合一」と呼んでいます。人が「我」を忘れて、神様と一体になる瞬間です。そしてその深い集中によって、ときには不可能と思えることも、自分の能力を超えたことも、可能になる場合があるのです。

救急医療の技術をもった人間として、目の前で失われようとしている命があれば、私たちは無心になり、全力を尽くして救おうと試みます。しかしときには、助けることが果たしてよいことだったのかどうか思い悩み、心が痛むような事例もあります。ほんとうの意味で、人は人を救ったり、幸せにしたりすることができるのでしょうか?

ちっぽけな私たちにできることと言えば、神様からいただいた使命を精一杯果たすこと、そして苦しむ人の心に寄り添ってあげることくらいです。そしてだからこそ、私はいつも「人を助けてやった」のではなく、「人を助けさせていただいている」「神様が人を助けるお手伝いをさせていただいている」と考えます。
一度消えかかった命が、私たちの助けで再びつながることは確かにあります。しかしその命がもう一度輝き始めるのは、人の技術を超えた、その人がもつ生命力そのものの力ではないかと思うからです。

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