溺死者の霊
かつて現役最高齢のライフセーバーといわれていた・故本間錦一さんから聞いた実話を紹介します。
ライフセーバーもレスキュー隊もまだ存在しなかった昭和23年7月、素潜りが得意だった20代の本間さんが呼ばれて駆けつけ、最初に遭遇した水難事故者は、25歳の男性でした。水深8~10mのところで発見したこの男性を、本間さんはロープを使って必死に引き上げたのですが、時すでに遅し。一週間後に結婚式を控えていたその男性は、帰らぬ人となってしまいました。
号泣する婚約者の痛々しい姿がまぶたから離れず、上手く寝つけずにいたその夜、本間さんの目の前に、まさにその日海から引き上げた男性が現れたのだそうです。声も出ないくらいの恐怖と衝撃で、本間さんは凍りつきました。
そしてそれ以来、遺体を引き上げるたびに必ず、本間さんのところへは溺死者の霊が現れるようになりました。いつまでこんなことが続くのか…。恐怖と不安に苛まれていたとき、本間さんは、漁師であったおじいちゃんからおまじないを教わりました。
「人麻呂や まこと明石の浦ならば 我にも告げよ 人麻呂の塚」
この不思議なおまじないの和歌を西方に向かって3度唱えると、水死者の霊は出て来ないとのことで、北海道の漁師衆も知っているおまじないだそうです。本間さんは藁にもすがる思いで、遺体を引き上げたときには必ず、西に向かってそのおまじないを唱えることにしました。すると、それ以降ピタリと霊は出なくなったのです。
しかし面白いことに、本間さんは霊がまったく出て来なくなったことに、次第に物足りなさを感じるようになりました。よくよく思い返してみれば、自分が勝手に恐ろしがっていただけで、出会った霊たちは口々に「ありがとう」と礼を言い、笑顔で手やハンカチを振っていたからです。
「よし、こうなったら彼らの言い分をとことん聞いてやろうじゃないか」
そうして本間さんは、あるときからおまじないを唱えるのをやめ、お礼を言いに来る霊との会話を楽しむようになりました。
さらにこの話には、後日談もあります。今から約30年ほど前、溺死者に接した2人のボランティア大学生のうちの一人にだけ、本間さんはこっそりこのまじないを唱えるよう教え、もう一人にはわざと教えませんでした。するとまじないを教えなかった大学生の方にだけ、ちゃんと霊がやってきて、この大学生を腰が抜けるほど怖がらせたのです。この話は後に、怖い話を集めた稲川淳二さんの本にも採用されました。
このおまじないは、和歌の言霊(ことだま)によって、水難事故で苦しむ御霊を鎮め救済する方法のひとつです。人麿呂とは、歌人・柿本人麻呂のことで一節によると人麻呂の死因は、水死だといわれています。